Q バガボンド。佐々木小次郎が耳が聞こえないという設定の理由を答えよ


バガボンドの最大の見せ所は、武人・剣豪としての成長過程を、肉体的な鍛錬による技術(技をどんどん習得するような)の向上過程を描くのではなく、心の成長、つまりメンタル面における移り変わりをこれまでの武士マンガにはない深さとスケールで描いている点にある。

バガボンド(24)(モーニングKC)

バガボンド(24)(モーニングKC)

もちろん、これまでの武士マンガにも心の描写が必須であり描かれてきているわけだが、極めて重点的に描いている点こそがこのマンガのオリジナリティーであり魅力でもあると同時に、作者である井上先生のコンセプトでもある。井上先生は、このメンタル面の変化を剣の強さに結びつけ敵を倒していく事で、心の成長=武士としての成長として描いている。
さて、この心の成長という目に見えない成長は、様々な登場人物やエピソードがきっかけとなり、主人公武蔵自身の心境に変化が生じるという展開により描かれている。きっかけはどうあれ、武蔵が自身が考え意識し、変化していっているのである。つまり心の成長とは自分自身との対話ということなのである。自分と自分の対話。ここに小次郎を耳が聞こえないという設定にしているヒントがあるように思う。
健常者の場合、心の成長の障害となるのは、耳や眼から入ってくる「雑念」という外的要因による場合が多い。武蔵が「天下無双」に固執するエピソードもこの雑念によるものである。武蔵の成長はこのような「雑念」を乗り越える事で描かれていくのである。耳が聞こえないという設定は、この雑念を挟まない人格。つまり雑念を持たないキャラクターを設定するためである。混沌をそぎ落とし成長していく武蔵とは異なり、最初から純粋なキャラクターを設定するためである。
24巻の巻末に井上先生はこのような一文を残している。
人はまっすぐにものを見る眼を持って生まれ 後天的に獲得した斜めにみる眼をもてはやし いつかまた手放していく ならば早くに手放した者勝ち そうすることが難しいこの世ではあるけれど

  • 「後天的に獲得〜」というのは武蔵が持つ雑念
  • 「ならば早く手放した〜」は雑念を捨てること

雑念をそぎ落とし強くなっていく武蔵、雑念を最初から持たぬ純粋である小次郎。小次郎が耳が聞こえないという設定にしているのは、この異なる心の構造を持つ二人による戦いを描くためなのである。

まぁ、ざっくり簡単に言ってしまえば心というスキルによる努力家(武蔵)と天才(小次郎)という対決だよねフツーにいったら。。。

バガボンド(25)(モーニングKC)

バガボンド(25)(モーニングKC)