孤独くん

楽しい時間はあっという間に過ぎる。寂しい時間は長く感じる。

その理由を、寂しい時間が長く感じるのは自分自身の深い部分と対峙させる為に、わざと長く感じるようにしているんじゃないかと。そんな切り口に、我が思考を走らせてみると、寂しさや孤独と共に過ごす時間というものの感じ方が変わってくる。
誰一人として孤独な時間というものは辛いものだ。孤独の苦痛なんてものは、常にそこに居座り、抜き取る事も薄める事も黙殺するも出来きない。その痛みと共生しているからこそ、孤独は孤独として存在し、辛く悲しい感情を我々に与えるという生活になくてはならない一側面を支えているのだ。
そんな孤独な時間というのは、何かを生み出すには格好の時である。楽しい時間で生まれるものは、残念ながらポップで安っぽいモノでしかないと言い聞かす。孤独を受け入れ、自分自身をギリギリまで追い込んだ時に生まれたモノで、ようやく他人の心をほんの少し動かすことが出来る。片手間に作り上げたモノで人の心を動かせる人なんて、何千人に一人の天才と呼ばれる人だけなのだ・・・そんな風に思考回路の経過を辿るともうなんちゅーか、

「おー、孤独くん、元気にしてた?」とすら言いたくなる。