金太郎、逝く。

若き日の金太郎

1月1日の昼ごろ、一晩中遊び疲れて帰宅したら飼い猫・金太郎が死んでいた。たまに寝床としていた俺のベットの下で動かなくなっているのを俺が最初に発見した。ぱっと見、ベットの下に横たわっている金太郎の姿を見て、軽く小突いてみたのだが、まったく反応がなく、触り心地も普段とは異なる固さを感じさせるものだった。その瞬間、俺はああやっぱりなと感じたのだがそれには理由があった…
1年くらい前から、それまでは鰹節が大好物のデブ猫だったのだが、急激にやせ細って水ばかりを大量に飲むようになった。その変調を機に一度獣医に診せていたのだが、どうやら肝臓が悪いらしくて、肝臓が悪い猫は大量の水を飲むらしくそういう症状の猫は結構いるそうで、食欲が無くなった時は、危ないかもしれないと言われていた。そしてここ2〜3日前からめっきり食欲が無くなり、いつもピンク色の鼻頭も真っ白になって、ぐったりとしていたのでこれはついにその日が訪れるなぁとそれなりの心構えをしていたので、ああやっぱりと感じたのである。
マイメン金太郎が逝ってしまった。
金太郎は俺が高校1年の頃に母親が実家の静岡の近くのペットショップの無料で譲ってくれる猫群の中にいた白い毛の子猫で、一目ぼれした母親がペットボックスに無理やり押し込み新幹線に乗せて我が家のある横浜に持ち帰ってきた猫なのである。家族の者誰一人にも相談もなしに、母親が勝手に連れてきたのだ。加えて母親は相談なしに命名もした。その猫は100番と書かれた首輪を付けていたらしく、当時、話題となっていた金さん銀さんの金さんからインスパイアーされて「金太郎」にしたと嬉々とほざいていた。
やって来た当初は、隅っこがあればすぐに隠れるような気弱な子猫だったのだが、当時、血気盛んな高校生だった俺は、そんな気弱な子猫を追っかけ回しては乱暴に戯れていた。それが影響したのか、もともとそういう種類だったのかは判らないが、大きくなるに連れて、やんちゃで気の強いたくましい猫となった。母親は俺によく「イジめるな」とか言っていたが、俺は日頃「野生を思い出せ!」と言っては、猫にちょっかいをだして怒らせて俺の手を思いっきり噛ませたり、ガチの猫パンチや猫キックをさせては受け止めたりして「さぁ噛みつけ!これがお前の本来の姿なのだぁぁ」とのたまわっていたのだが、これは確信を持って言えるが、あの猫は楽しんでいた。まちがいなくウキウキだったはずだ。野生味溢るるランランとしたアノ目つきが証明していた。俺の手に必死に噛み付いている金太郎の瞳の奥はエンジョイを感じさせた。ニャウリンガルよりもはるかに精密に。死んだ今でも一歩も引かずにそう思える。それをイジめと捉える母親は、人間と同様に扱うのが猫にとって一番の不幸せだという説を理解出来なかったのだと思う。何が猫にとって幸せなのかわからないが、当の本人、金太郎はそんな風にワイルドに接していた俺に懐いた。もちろん、餌をやる係の母親にも懐いていたが、それ以上に俺に懐いていた。それは母親も含め他の家族の者も嫉妬するほどだった。一番俺の部屋に入り浸っていたし、冬になればベットの中に無理やり入り込んできたりもしていた。「野生を忘れるな」イベントが功を奏したかどうかは別の話だが…
そんな金太郎が我が家に来てから12年。高校、大学、社会人というめまぐるしく成長した時代に寝食を共にしてきた戦友だったが、奇しくも元旦の昼というめでたい日を選んで死んだ。ベットの下で動かなくなっていた金太郎を引きずり出して手に抱えた時はさすがに涙ぐんだ。ペットが死ぬのはやはり悲しい。ペット専門の葬祭業者に引き取りに来て貰い火葬してもらう事になった。晩年は筋力が衰え、ちょっと押しただけでも倒れてしまうヨボヨボの御爺ちゃんのようになってしまい、さすがに「野生を思い出せ!」とは言えなかったけど、その代わり家族の誰よりも顎の下をなでてゴロゴロ言わせて気持ちよがらせてやったりした。この先金太郎よりも好きになる猫はいないだろう。それは、もうペットは飼わない!と大の大人なはずなのに幼稚園児とまったく同じ気分になってしまっているからだ。
これを書いている最中、金太郎との様々な思い出を回想出来て良かった。その為に書いたようなものだ。「野性を思い出せ!」イベントは、またどこかでやってやれるもんならやってやりてぇーもんだ。