はてなダイアリーが選ぶ名盤百選

tha blue herb/ STILLING,STILL DREAMING 


残念ながら、音楽に対する相対的な基準というのは、セールス枚数にしかないという事実がある。それは「音楽の感じ方」を、他人と寸分狂わず共有する事なんてまずありえないからである。完全共有できないからこそ少しでも共有しようと試みる。人が、それがいかに素晴らしい音楽であるかを他人にほんの数ミリでも伝えようとする行為。レコメンド。
その行為は、個々の前頭葉で磨き上げられたその音楽に関する数々のイメージの連鎖を、紙とインク、液晶とドット、扁桃腺と呼吸、それら様々なツールを代用し言語化する事でぎこちなくも懸命に表現されていく。それはまるで「音楽は聴く事以外の説明は無意味である」という逃れようのない宿命に笑われたり卑下にされたりする事を覚悟しているかのように…。
―なぜだ?人はなぜ、無意味である事を分っていながらなぜ説明する行為を止めない?―
その明確な答えを導く事は不可能かもしれない。しかし、人が素晴らしい音楽と出会い、それをどうしても他人に伝えたいという本能的で純粋な衝動はそこに間違いなく存在する。俺は、君が好きな音楽を語っている時にみせる、キラキラした目の輝き、うまく言葉に出来ないもどかしい表情、何が何でも解ってもらいたいという想いからくる善意的戦略の見え隠れ。好きな音楽を語る人々が共通して魅せるそれらのポジティヴでプリミティヴなVIBS。そこを見つめる。そこに尽きる。抽出すべきは相手になんとかして伝えようとする時に自然と産まれるそれらの「気」の気配だ。良い音楽に「気」を感じるように、良い紹介にも「気」を感じとる事が出来るはずだ。君のラックに差し込まれたアルバムにも魂を感じるだろ?君が誰かのライナーノーツなり、推薦文を読んで「何か」を感じ取り、その音楽を聴くに至った事も一度はあるだろ?言語で音楽を紹介するという行為において、最も大事にしなければならないのはそこら辺な気がしてならない。
このはてなダイアリーが選ぶ名盤百選の1−60番目そして、ここから先の62−100番目になるであろう皆様方は、それぞれの考え方とそれぞれの文体で、好きな音楽をあえて勇猛果敢に言語化し伝えようと試みている事を、61番目となった俺は勝手ながら代弁すると同時に、俺が一番好きなtha blue herbなる表現者をレコメンドする上で最もふさわしい表現方法として選び、これらは書かれた。



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と、「一人ぼっちの週末ド深夜からのほとばしるパッション一発録りremix」で書かせて頂いた。tha blue herbを分析的内容で語れるほど、俺には音楽的知識も文才もないし陳腐なものなる事必至だったので、もがいたあげくこんな文になっていってた。まぁ言い訳はこのへんにしておいて。で、フーイズネクスト?という話ですよ。id:kasaiさんから授かったこのマイク。誰に渡したらよいものか。迷った挙句にキメましたよ。その名は…
そのコメントの切れ味はソニー千葉の包丁のように鋭い!!で毎度おなじみid:chepookaさんに、このマイクロフォンをお寿司同様に華麗にそして軽妙に握ってもらいたいと思います。嫌だったら真顔で言ってくださいね!念のためノーギャラですよ。これ。と付け加えてお願いのご挨拶と代えさせて頂きます。という事でこの辺で終わり。と思ったが、この注目されている内が華であると今考えた俺は、最近話題のリンク問題に対してこの場を利用して「リンクフリーダム宣言」をしてしまう便乗サーファーのチューブライディングでミスってトラウマになる人。ザ・ブルークラッシュなハーブ。